シベリア鉄道極東の旅 (2010/5/1)

3日目 ハバロフスク到着

ウラジオ駅からシベリア鉄道に乗り約12時間。
駅周辺以外は何もない原野かシラカバの森が続くばかりであまり変化がありません、夜行列車ですから8割方ベットの上ですし。
ちらりと車窓を見ると、街の灯りが全くない原野でも月明かりに照らされて幻想的ではありました。
月ってこんなに明るかったんですね。

朝起きて身支度していると徐々に列車は減速してハバロフスクに到着しました。
列車を降りるとひんやりと肌寒く5℃くらいかな?といった感じです。
車内は半袖ですごせるほど暑いのでむしろ気持ちが良い。
降りたすぐそばに自分のネームプレートを掲げるドライバーが待っていました。
ロシア語しか話せないドライバーは終始無口でしたが、まずはホテルに向かいます。

ロシア旅行いまだに一般的ではありません。
ビザが必要だし現地でもレギストと呼ばれる滞在証明の登録が必要で、 これをせずにその辺をうろつくと警官に職質されたときえらい目に遭うようです。
インツーリストホテルにチェックインしたのが8:30頃、レギストには2時間掛かると言います。自分の部屋でしばらく休む以外ありません。
ホテルの窓からは正面にロシア正教の教会が見え、左にはアムール川が広がり良い眺めです。

やや!怪しげな車輌が見えるぞ?

どうやら地図で調べると赤軍博物館というらしい、後で行ってみよ。

10時頃やっとパスポートを返してもらってハバロフスクの街に繰り出しました。
まずは先ほど部屋から見えた怪しげな博物館に行ってみることにします。

↑赤軍博物館、昔は銀行として使われた建物だそうな。
例によって重厚な扉を開けて中に入ろうとすると看板の掛け替え作業をしていた軍人(写真に写ってる3人組)に呼び止められます。
ロシア語わかんないけど、どうやら「今日は休館だ!」と言っているらしい。
英語で「明日は?」と聞き返すと微妙な英語で5月3日まで休館だと教えてくれました。
なるほどドアにそれらしき手書きのメモが貼ってあります。
・・・が、大きなドアに対してポストイットの手書きメモじゃ普通気付かないよ! そこがロシア・クオリティ。
仕方ないのでその場を後にしますが、去り際「すぱしーば」と言うと軍人の一人が「謝謝!」と返しました、よりによって中国人と間違えるとは!「にぇと やー いぽーにぇつ アリガトウ!」と日本語で返すと軍人苦笑い。
アムール川の向こう岸は中国だから仕方ないですかね。
ウラジオの土産物屋ではいきなり日本語で話しかけられたりしたけど、この辺りでは中国人の方が一般的な様子です。

気を取り直して同じくホテルから見えたロシア正教の教会に足を運びます。

↑ウスペンスキー教会。ロシア聖教の教会はタマネギ屋根と金だの銀だの派手な色調が多いです。 中の写真撮影は出来ませんが、イコンと呼ばれる宗教画が数多く壁面を埋め尽くしておりヨーロッパの教会にありがちなステンドグラスは見当たりません。
真面目にお祈りしてる人も居るのでそそくさと退散。

教会の向かいはアムール川(黑龍江)が広がります。
冬場は歩いて向こう岸に行けるらしいのですが、 対岸っぽく見えているのは実は中州で本当の向こう岸までは相当な距離があるようです。
階段を下りてムラヴィヨフ・アムールスキー公園を散策します。
振り返ると先ほどの教会が良い感じに見えますね。天気が良ければ美しく輝いて見えたことでしょう。

公園内には露天や出店が多数あり、中にはこんなお店も。

何故か日本のゼロ戦をあしらったお店です。その名も「アエロ」。
ドリンクと軽食を扱う休憩所になっています、日本で言う海の家みたいなものでしょうか?
ロシアにとってゼロ戦≒日本軍って忌むべきモノじゃないの?よくわかりません。
ソビエト崩壊はそんなことを超越したのでしょうか?
この後も謎な日本文化をいくつか目の当たりにすることになるのですが・・・。
いずれにせよロシア国民の対日感情は悪くはないようです。

まだ肌寒いアムール川を離れます。
アムール川クルーズはオフシーズンでやってないみたいなので残念。
ウスリースキー並木通りを東に向かって歩いてみます。

ウラジオストクと違ってしっかり歩道が整備されています。
ハバロフスクはロシアで一番キレイな街にノミネートされたこともあるらしいのですが、ようやく氷点下を上回ったような時季のためか植物はほとんど生えておらず寂しい感じがします。
そのまま進んでディナモ公園に到着。

ディナモ公園は6ヘクタールほどある大きな公園です。
いくつかの池と噴水、彫像などがあります。

なんとこの池はまだ凍っていました。
噴水のある池は凍っていません。

高く吹き上げる噴水は美しいのですが、お世辞にもキレイとはいえない池の水の飛沫が容赦なく風に流されてきます。

地図を見ると広い公園の中には競技場もあるようです

・・・が、近づいてみると廃墟の様相。

公園のすみに何所の都市でもありがちな落書き(グラフティ)がありました。

郷土愛溢れる芸術的なグラフですね。
キース・ヘリング調のグラフで埋め尽くされた桜木町のガード下を少し思い出しました。

ディナモ公園にチェブラーシカの銅像があることをリサーチしていたので探しながら散策していましたが、この日は見つけることが出来ませんでした。
チェブラーシカはロシアの人気キャラクターです、日本でも映画やTV番組になっていたので知っている人も多いでしょう。
明日も探してみますかね。

ディナモ公園からマルクス通り向かいにあるガイダル子供公園へ。

公園とはいうものの実態は規模の小さな遊園地です、あらかわ遊園より小規模。
ドラえもんやピカチュウをあしらった乗り物が遠く離れた異国の地で働いていました。

やや!チェブ&ゲーナの看板発見!

でも見つけたいのは銅像のチェブラーシカです。
なぜかゲバラをあしらった看板も・・・

しかし、ロシアの少女はだいたい可愛らしいのに、なんでジャバザハットみたいなオバさんになるのか不思議です。

あまり公園をうろついて変質者扱いされたらたまりませんから早々に公園を後にします。
トルストイ通りからアムールスキー並木通りに入ると正面にハバロフスク駅が見えます。

朝方無口なドライバーに車で送迎してもらった距離を歩いてしまいました。
ハバロフスク駅、薄いグリーンの駅舎はとってもキレイです。

ちなみにВОКЗАЛ(バグザール)とは「(規模の大きな)駅」という意味です。
「駅」と書いてあるだけで何という名前の駅か書いてありません。
おそらくこの近辺に駅と言ったらここだけだからこんな表記でも事足りるのでしょう。
日本では考えにくいですね。

例によって駅の中は質素です。

待合室といくつかのキオスク、切符の販売窓口があるだけです。
東京駅丸の内南口を想像すると近いかな?

駅の前にはハバロフスクの地名の元にもなった探検家エロフェイ・ハバロフの銅像が建っています。

しかし、ロシアは広場と銅像だらけです、 こういうのも共産体制の名残なんでしょうね。

ハバロフスク駅からアムールスキー並木通りを散策しながら戻ることにします。

駅前の広場はトラムとトロリーバスの発着場にもなっています。
車輌はどれも古めかしく小汚いです、よく故障せずに走ってるなとむしろ感心する有様です。
運転手と車掌はほとんど女性です。
料金はどこまで乗っても15р(約60円)と安いのですが、今日はじっくり観光したいので交通機関は使わずのんびり歩いていくことにしました。

↑ 何故か日本語の書いてあるトラムも・・

ハバロフスクの交通機関

並木通りを歩いていると、小さな子供が駆け寄ってきました。
浅黒い中近東系の顔立ち、おそらくジプシー集団です。小汚い格好をした6~12歳ぐらいの子供達がズボンや裾をひっぱってお金をねだるのです。
一見、可哀想に見えますが(実際日本の子供に比べれば可哀想な境遇でしょうけど)組織化して物乞いビジネスの一端を担っているのでかまってはいけません。
実際、地元の人には目もくれず外国人と見るや寄ってくるあたりプロの物乞いです。
にぇ~と!にぇ~と!ぽり~つぃあ!と言いながら追い払って50mほど進んだところでようやく居なくなりました。
おかげで立ち寄る予定だった中央市場に行けなかったぢゃないか!
嗚呼、日本が如何に平和なことか。

道ばたにはキオスクが多く存在します。その代わり自動販売機はまったく存在しません。
キオスクの外に冷蔵庫が置かれていますが、常に鍵が掛かっており商品を取り出すことは出来ません。
キオスクのおばちゃんに「コーラー」とか「ファンター」とか言うと店の中からスイッチを操作して鍵を開けてくれます。
500ccのペットボトルで30рぐらい、若干日本より安い感じですね。

駅前から数キロ歩いてレーニン広場に到着。

ドイツ軍に勝利してから65年目ということで大規模な式典があるようです。
たしか5月8日が戦勝記念日だったと思います、各地で記念行事が行われるのでしょう。
ウラジオで見た戦車の車列もこのイベントに合わせたものではないかと今更気付きました。

レーニン広場と言いつつ、レーニンさんは端っこの方にいました。
この付近がハバロフスク一番の繁華街になっています。
通りにはゴミ箱が多く設置され表向きはキレイな街並みです。
しかし一歩路地を入ると廃墟同然だったりしてそのギャップに驚きます。

↑日本語の書いてある看板がありました、 レストランサッポロ。
このほかにも日本料理屋を何店か見ています、 ロシアでも日本食は人気があるようです。
ハバロフスクのメインストリートであるムラヴィヨフ・アムールスキー通りから脇道を見ると、ロシア正教の教会が見えました。
そちらに向かって歩いていくことにします。

↑ツルゲーネフ通りから見えたロシア正教の教会。
サンフランシスコのような坂道です、適度な丘陵地が美しい景観を生むのでしょう、ガンバって登らねば・・・。
通りを登りきると、またまた広場へ到着。

地図で確認すると栄光広場というらしい。
WW2の戦没者などの慰霊碑がモノリスのように立ち並んでいます。
大戦中に最も死者を出したのはソ連だからでしょうか、このような追悼施設はウラジオストクにもありました。
比較的最近の慰霊碑もあります。

アフガニスタン 1978-1989と書いてあります。
今現在もチェチェンとかグルジアとか内戦がおきてますから今後も増えて行くのでしょうか。
平和ボケした日本人にはあまりピンとこないところではありますけど。
なのですぐ裏にある目的の教会に移動します。

↑スパソ・プレオブラジェンスキー大聖堂。
「地球の歩き方 シベリア編」によると極東ロシアで一番大きな教会なんだそうです。
中はウスペンスキー教会と同じくイコンがびっしり並んで厳かな感じでした、イコンって売っているんですね、大型のものだけではなくカードサイズのものもあるようで、それはお守りのように携帯して使うみたいです。
その隣の教会。

こちらの教会の名前は失念。
中にも入りませんでした、外壁のイコンが特徴的です。

ホテルに戻る途中、謎な日本文化発見!

↑寿司カー、エビです。
日産マーチをシャリに見立ててます。
どうやら店の名前はスシドム(寿司の家?)というみたい。
要するに出前カーですね。
ロシアの冬は寒いのでバイクはごく短い時季しか乗れません、-40℃を下回る寒さの中をカブで配達とか自殺行為ですから、出前の車両は車になるのでしょう。

ちょっとホテルに戻るのは早いのでアムール川付近を散策します。
サマータイムと緯度が高いのも手伝って21時過ぎまで明るいのです。

ムラヴィヨフ・アムールスキー像
東シベリアを統治した軍人、江戸時代に品川沖まで軍艦7隻を連ねて来た事もあるようです。
多少歴史を勉強すると面白いのでしょうね。

おおっ!アムール川まだ凍ってるところあるじゃないですか!
アムールスキー像のまねして撮ったつもりが全然違うポーズでした どちらかというとレーニン像

ウラジオのミリタリーショップで買ったウシャンカを被ってご満悦。

アムール川を散策した後、ホテル内のレストランで夕食を食べます。
ガイドブックには日本語のメニューもあるので安心!と書かれていたので、「いぽんすきー めにゅー ぱじゃーるすた?」と無愛想なウェイトレスに聞くと、メニューの束をひとしきり探した後、首を横に振って肩をすくめています。

・・ああ、無いのね。「・・・あんぐりーすき?」とたずねなおすと英語のメニューはあっさり出てきました。

英語もロシア語よりは少し判る程度です、大分類とポークだのチキンだの何とか判る素材の名称を頼りにサラダとメインディッシュ・食後のコーヒーを注文しました。

結果900р(3600円位)というハイコストなディナーになりましたよ・・
ホテルの中は高いので外で食べた方が経済的ですね。

自室に戻って窓から外を見ると、ウスペンスキー教会がライトアップされていました。

深夜には消えるのかと思ったら、夜通し点きっぱなしで眩しいぐらい。

ところで宿泊したインツーリストホテルは少々変わっています。
フロアごとに担当のおばちゃんが居て、部屋を出るときにはそのおばちゃんに鍵を渡さなくてはいけません。
深夜でも真っ暗なカウンターの中におばちゃんがたたずんでいて少しホラーです。
ホテル自体の居心地は悪くないけど、これだけがソ連時代の監視体制を垣間見るようでちょっとイヤでした。

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