シベリア鉄道極東の旅 (2010/4/30)

2日目 ウラジオ観光

シベリア鉄道の出発までウラジオストク観光を楽しみます。
ウラジオストクは2012年のAPEC開催地になっています。至る所で開発が進んでおり。落ち着いた景観ではありません。

まずは滞在しているプリモーリエホテルからほど近いウラジオストク駅に向かいます。


↑駅前広場にはレーニンさんが天空を指さしています。UFOでも見つけたのか?


ウラジオストク駅の外観。

重厚な扉を開けると、薄暗い待合室があります。
シベリア鉄道のターミナルとしては質素かな?電光掲示板と椅子があるくらいです。

天井を見上げると絵が書かれています。モスクワの地下鉄みたい。
正直、街自体はキタナイけど建築物の芸術性はさすが東欧といったところでしょうか?


↑駅に改札は無く、跨線橋から誰でもホームに下りられます。

メインのプラットホームには、モスクワまでの距離を印したオブジェがあります。全線走破するためには9288km 6泊7日の旅が必要です。

今夜はここからハバロフスクに向けてロシア鉄道をちょっとだけ体験してきます。

駅のすぐ裏側はウラジオストク港のターミナルになっています。

今年(2010年)の3月に富山県の伏木とウラジオストクを結ぶルーシー号が運休になり、船でウラジオストク渡るルートは無くなりました。
中古車の関税が高くなったため、貨物需要が大幅に減ったのが原因ではないでしょうか?
10年ほど前は横浜からウラジオストクへ行く船が出ていたんですけどね。


↑ウラジオ港とふてぶてしいカモメ。近づいても逃げない。Я чайка。

そのまましばらく金角湾の海沿いを歩いて進んでいくと・・

↑ロシア正教の教会。アンドレイ教会だったかな?
ソ連時代に取り壊された教会はペレストロイカ以降に再建されています。そのため比較的新しい教会ばかりです。


↑ニコライ二世凱旋門
ニコライ二世がウラジオストクを訪れた記念碑的なモノ。
大津事件でググると良いかと。

そのままスヴェトランスカヤ大通りを進み左側を見上げると・・・

↑フニクリョールと書いてあります。
イタリアベスビオ山のフニコラーレからきているのでしょうか?いわゆるケーブルカーですね。フニクリ・フニクラ♪


↑5分間隔で走ってます。片道5ルーブル(約20円)
広大なロシアにも関わらずケーブルカーは2路線しか無いそうです。
ここウラジオと、冬季オリンピックの開催地のソチにあるだけらしい。


↑車内の様子はこんな感じ。
側道の階段を上がっても大して苦労しないので、タイミング良く発車するなら乗ってもイイかなぁ~というかんじです。
江ノ島のエスカーみたいなものか?


↑車体はレトロでかわいらしい。

そしてウラジオ最大の景勝地?鷲の巣展望台へ

↑ 金角湾を一望できると同時に、遠くにルースキー島が見えます。
2012年のAPEC開催に合わせて金角湾を横断してルースキー島に渡る橋が建設の最中。

ルースキー島ではソ連崩壊時、管理不行き届きで孤立した部隊が餓死したり病院送りになったりした事件が有名です。
横須賀の猿島みたいな要塞島になっています。

鷲の巣展望台の地下?にお土産屋があり入ってみると店のオヤジに日本語で話しかけられました。
ウラジオでは学校で日本語を習う授業があるなど思いのほか親日的なようです。

日本の漫画やアニメを扱うオタクショップらしきものも有りましたし。

鷲の巣展望台からの眺めはグラバー邸からみた長崎湾みたいに感じました。

鷲の巣展望台を後にしてさらに市内を散策することにします。
スハノヴァ通りを下りヒュンダイホテルで両替してからカラーベリナヤ海岸通りを目指します。

途中、なんかの式典の演習か装輪装甲車だの地対空砲だの名前も知らないような兵器が通りにずらっと並んでおりました。さすがロシア。

↑ たぶんBTR-80じゃないかな?
一昔前なら車列にカメラを向けただけで拘束されかねない状況です。しかし地元のロシア人も戦車と並んで記念写真を撮る始末・・。
心なしか乗員や軍人もやる気があんまり無いように見えますね。

そんな感じで市内で最も古いと言われるГУМ(グム)百貨店を撮影しようにも戦車の隙間からと言う有り様です。

↑ モスクワなど主要な都市にある国営百貨店です。中は薄暗く店員のやる気ははあまり感じられません、共産時代のニオイが漂っています。

んで、海岸通りに到着。
通り沿いの広場に第二次世界大戦中の潜水艦が展示してあります。

↑ 潜水艦С-56博物館。ロシア語読みではエス-ピャーチ・シェースチでしょうか?
せっかくなので中に入ってみました。

入ってすぐは、おそらく戦績とか乗員とかの資料館になっています。ロシア語の説明だけなのでさっぱり判りません。
進んでいくと直径60cmほどの水密ハッチをくぐって操舵室へ・・

↑ 羅針盤のあるメイン操作盤の回りには、無数のバルブが並んでいます。
↓潜望鏡もちゃんと機能していました。

第二次大戦中の旧型艦とはいえ、こんなに狭い空間で戦闘していたなんてウソみたいです。日本のイ号潜水艦はこの潜水艦より大きいみたい。

つづいてスヴェトランスカヤ通り沿いのアルセーニエフ博物館へ。
どうやらガイドブックの場所から若干移動したみたいです。
動植物の展示や、歴史など日本で言うところの郷土資料館みたいなものでした。

なぜかクマとトラが取っ組み合っていたり・・・

バイクに機関銃が取り付けてあったり・・。

博物館を出ると雨がぱらついてきたので、一旦ホテルに戻ることにしました。
途中、露天でピロシキと乳性飲料を買って昼飯がわりに食べます。

↑肉のピロシキ。日本で食べるピロシキより薄味で淡泊です。本場だからと言ってそんなに美味しいわけではありませんね。

午後はアムール湾側に行ってみることにします。

ガイドブックに「ヨーロッパ調のオシャレな噴水通り」と紹介されているアドミラーラ・フォーキナー通りを通って行きますが・・・

・・・・何じゃコリャ。

えーと、オシャレな噴水通りなのでしょうか?
通り全体が駐車場と化しています。
ガイドブックの写真とえらい違いだ・・がっかり。

この通りの両脇には色々な店が建ち並んでいます。ロシアのお店はショーウィンドウの類はほとんど無く、入り口の扉も重厚に閉ざされてるため看板が読めないと何のお店かさっぱり判りません。
恐る恐る中に入って初めて何のお店か判るような感じでした。入ったお店にライフルとか拳銃とか並べてあるとちょっと焦ります。

↑比較的開放的なコスメ店。日本の化粧品は人気らしい。
↓軍人向けの用品店にも立ち寄ってみました。

軍服とか階級章などの装備品が売られています。
別に軍人でなくても買う事が出来ます、イズマッシュのサバイバルナイフが格好良かったのですが、通関出来ない恐れがあるのでパスしました。かわりにウシャーンカ(ロシアの毛皮帽子)を買ってみました。750р

街並みは文化の違いを反映します、特に看板は面白いです。

↑レストランの看板?

↑細い路地の入り口にも怪しい看板多数

↑映画アバターのポスター。日本より先にBD&DVDが売られていました。

そんな感じで街並みを楽しみつつ、スポーツ湾に到着。

通り雨の後で少し寂しい感じです。海岸沿いにはキオスクやお土産屋の露天が立ち並んでいました。

↑魚市場。漢字が書いてあります。
蟹とかイクラとか安いかと思いきや結構高いです。
ちなみにイクラは魚卵全般を示すロシア語らしく、日本で言う鮭の卵のイクラはクラスナヤ イクラー(Красная Икра)、キャビアはチョールナヤ イクラー(Чёрная Икра)と言うみたい。


↑水族館 オケアナーリウム
生物2割・剥製8割と言ったところ。八景島や葛西の水族館を知っているとショボ過ぎる内容です。チョウザメの展示がロシアらしいかな?

海沿いの要塞跡が博物館になっています。

↑沖を見据える砲台。一部操作出来たりします。

↓適当な管理の展示物。手前はBRDMかな?

ウラジオストクは15年ほど前まで外国人はおろか一般人の立ち入りも規制されるような軍事拠点だったためこんなのばっかりです。
ミリタリー好きには夢のような環境でしょうけど。

さて、歩き回って腹も減ってきたのでロシア鉄道に乗る前に夕食を食べに行くことにします。

20:00からハバロフスクへ向かう夜行列車に乗るため、早めに夕飯を食べることにしました。
せっかく外国にきたのですから、その国を代表する料理を食べたいですね。

ガイドブックに載っていたロシア料理店「Ностальгия」に行ってみることにします。

↑ウラジオストク駅正面の坂を5分ぐらい歩いたところにあるノスタルギーヤ。ドアを開けると右手がお土産屋、左手がバーみたいになっています。
あれ?っと一瞬ひるみますが、目のあった店員さんが「レスタラーン?」と聞いてきたので「だー」と返すとバー横のドアから奧のレストランに通してくれました。

↑レストラン内部。
多少時間が早いこともあってか、貸し切り状態でした。レトロな内装と誰とも判らない肖像画がハイソな感じです。

レストランに入ったのは良いものの、メニューがロシア語ですからさっぱり判りません。 「あんぐり~すき めにゅー ぱじゃーるすた」と聞いて英語のメニューを持ってきてもらいました。

・・が、実は英語もよく判らないことに気付くだけだったりして・・・

ということで日本でも有名なロシアの料理と言うことで次の2つを注文することに・・。結局メニュー使ってないです。

↑ ごぞんじボルシチ。
ビーツで真っ赤なおなじみのスープです。ロシアではスメタナ(サワークリーム)いっぱい入れるのが普通みたい。
具だくさんで美味い!というかスープだけでお腹いっぱいになりそうです。

そして定番、ビーフストロガノフ。

↑ 見た目は貧相ですが、結構なボリュームがありました。日本のビーフストロガノフよりソースが白っぽいのね?

このほかにも黒パンなどが自動的に運ばれてきます。
最後にコーヒーをいただいて無事夕食完了。本場ロシアの料理を満喫しました。
お味は日本人の口にも良く合います、「おーちん ふく~すな!」

食事後ホテルに戻って荷造りし、チェックアウトしました。

さて、ついに一度は乗りたい世界最長の路線「ロシア鉄道」に乗りますよ!飛行機が一般的ではなかった頃、ヨーロッパに行くためにはロシア鉄道でユーラシア大陸を横断するしか無かったんですね。二葉亭四迷や与謝野晶子もロシア鉄道でヨーロッパに渡ってますし、水野晴郎がシベ超に掛けた情熱?を考えるだけでも乗る価値アリってものです?


↑ シベリア鉄道の切符 駅に着くとすでに列車は停まっていました。

↑オケアーン号。ウラジオストックとハバロフスクを一晩で結ぶ寝台列車です。
隣のホームには6泊7日でモスクワに行くロシア号も発車の準備をしてました。

オケアーン号は740kmほどを12時間で走りますから、ロシア鉄道全線の12分の1ぐらいのプチ体験ですね。

↑オケアーンとは海洋という意味。ボディーは青い色に塗られイルカのエンブレムがペイントされています。


↑台車をのぞき込むと、発電機が直結されています。駅で長時間停車すると停電するってウワサはホントだった!

1輌に1名女性の車掌がいて、世話を焼いてくれます。
15両編成なら15名の車掌が居るわけです。日本ではちょっと考えられませんね。元共産国家のニオイが少し残っている気がしました。

↑2等 4人のコンパートメント。
レースのカーテン(緑のカーテンの外側にある)とか造花とか日本の寝台列車よりずっとオシャレです。トイレも水洗ですしいつでもお湯が使えるサモワールもあるし、読書灯はなんとLEDでした。

日本にいるとロシアは旧態依然とした共産体質で遅れているのかと思いきや、日本より進んでるところも意外とありますね!

さて、明日目がさめるとハバロフスクに到着していることでしょう。

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